中国の歴史からみた環境と人々の生活

  • 11 住み続けられるまちづくりを

〈人文学部〉酒井 恵子(准教授)

 近年,歴史学では環境史・災害史への注目が高まっています。歴史を振り返ると,さまざまな事象が気候変動によって,そしてユーラシア大陸全体でおきています。有名でかつ私の専門である中国史と関連するところでは,4世紀の民族大移動は寒冷化によるものですが,ユーラシア大陸の東に位置する中国においては,周辺民族が中原に進入し,玉突きによって漢族の一部が南方に移住したことにより,南方の開発が進みました。14世紀にはヨーロッパではペストが流行しますが,中国では生活苦から反乱がおこり,モンゴルに支配された元から漢族による明へと王朝が交替します。「17世紀の危機」も寒冷化によるもので,ヨーロッパでは多くの戦争がおこり,中国では民衆反乱がおきて漢族の明から満洲族の清へと替わっていきました。

 逆に,人々が豊かな生活を求めてとった行動が自然環境に多大な影響を与えることもあります。清代(1644~1912)は人口が急増した時代で,増え続ける農耕民たちは生活の糧を得るためにさまざまな地域に移住していき,生態系を破壊していきました。

 このように環境から影響を受け,また環境に影響を与えながら生きている人々が「よりよい生活を求めてどのような戦略をとっていたのか」「その中で女性が果たした・課された役割は何であったか」が私の主要研究テーマです。そこでは自然環境のみならず,国家の制度をいかに利用して生きていたかにも焦点をあてています。

 明清時代(1368~1912)に活躍した「徽州商人(きしゅうしょうにん)」の故郷として有名な安徽省黄山市は,作物が豊富にとれる環境ではないため,そこに住む人々は行商を行い,妻は夫が行商に出ている期間の家を守る(時に貞節を守る)ことで一族の存続を図りました。一方,農作物が豊富にとれる浙江省金華市では,七百年は続いている一族,あるいは集落があります。浦江の義門鄭氏(ぎもんていし)は12世紀から15世紀まで分家せずに集住していたことで王朝から「義門」として表彰された一族で,繁栄を維持するために『鄭氏規範(ていしきはん)』という規則を作り,それを守ることで一族で助け合い,結束を強化していきました。

 上記の安徽・浙江の事例に共通する点は,官僚(男性のみ)を輩出すること,善行による表彰者(主に女性)を出すことで,これらは共に税法上の特権のみならず,威信財たる建造物「牌坊」を得られるため,一族にとって非常に重要なことでした。現在,牌坊は観光資源となっており,安徽省のものは有名ですが,義門鄭氏の居住区「鄭宅鎮」は重要遺跡「江南第一家」として整備されています。蘭渓にも,13世紀から続く,全国重要文化保護財に認定されて村全体が保存管理されている「長楽福地景区」もあります。

 環境に適した戦略で数百年続く一族・集落をつくっていくたくましさからは,時代・地域・環境の違いはあるにせよ,我々はどう生き続けていくのかを考えるヒントが得られると考えています。

  • 安徽省黟県宏村(H10.04.08)

  • 浙江省浦江「江南第一家」(H29.08.31)
    ※2005年に,当時のものの復元ではなく,
    観光名所とすべく新たに建設された牌坊群

  • 浙江省蘭渓「長楽福地」周辺の風景(H29.09.01)

  • 浙江省紹興「大禹陵」周辺(H10.10.17)
    ※禹は黄河の治水事業の功績が認められて
    王になったとされる伝説上の聖王

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