6環境研究
神経難病の在宅療養から:地域包括ケアに弱者の可能性への視点を
- 3 すべての人に健康と福祉を
〈大学院医学研究科・医学部〉成田 有吾(教授)
ここでのテーマは療養環境です。神経難病の在宅療養と社会的な切り口での検討をしてみました。筋萎縮性側索硬化症(Amyotrophic Lateral Sclerosis: ALS)は,まれで,いまだに原因不明の神経変性疾患です。平成30(2018)年3月に逝去のスティーブン ホーキング (Stephen William Hawking)博士は,このALSとの闘病を続けながら,多くの宇宙物理学的知見を発信してきました1)。ALSでは運動ニューロンが変性・脱落して運動機能が徐々に低下します。四肢の運動機能ばかりでなく,進行すると,ものを飲み込む機能(嚥下)が障害されて,鼻から胃までの管,あるいは腹壁から胃に直接造設した管(胃瘻)を使っての栄養補給や薬剤の投与が必要になります。また,口腔や舌の筋力低下から言葉を発することが困難になり(構音障害),口頭での発語や手足の脱力から書字ができず,コミュニケーションがとりづらくなります。機器を用いた補完代替コミュニケーション(Augmentative Alternative Communication: AAC)を用いても意思疎通がとれなくなる完全閉じ込め状態(Totally Locked-in State: TLC)に至ることもあります。さらに,呼吸筋力も低下して,十分な換気ができなくなると死が迫ります。呼吸機能不全に対して,マスクなどを用いる非侵襲的補助換気(Non Invasive Ventilation: NIV)や,手術により喉に直接管を通して人工呼吸器を装着する,気管切開を伴う補助換気(Tracheostomy Invasive Ventilation: TIV)を行い,死を回避することがあります。
三重県のALSの療養実態を見てみましょう。三重県は,毎年10月末にALS患者でNIVやTIVを選択して療養されている方の療養環境を保健所単位で調べてきました。私たちはそれを経年的に集計してきました。三重県のTIV利用ALS患者の総数はほぼ一定でしたが,在宅での療養を続ける方が減少していました。(図1)一方,公表されているエンゲル係数の変化(津市)と逆相関することが示唆されました。(図2)つまり,さまざまな生活の大変さがALSという難病の在宅での療養を妨げている可能性があります。この傾向は三重県だけのことでしょうか? 私どもは鈴鹿医療科学大学との共同研究で,他都道府県の情報収集を試みました。TIVを利用している患者の数などの公表は極めてまれで,公開資料では他地域の状況は把握できないことが分かりました。今後,他府県の研究者と協力して全国的な調査を検討しています。
さて,このテーマはまれな疾患の特殊な状況でしょうか? ALSは運動ニューロンの障害が前景に立ちますが,アルツハイマー病では記憶が,パーキンソン病では姿勢や円滑な運動の障害が,最初に顕れてきます。これらの神経変性疾患は神経系の老化の先取りです。つまり,一般化できる問題とも理解できます。高齢化,少子化,人口の都市集中,経済格差の増大は地域の生活に大きな影響を与えています。地域を保全するためには医療を含む社会環境の包括的な手当(地域包括ケア)が必要です(図3)。この概念は,医療以外の社会的資源との連携や経済的な合理主義ばかりでは不十分です。さまざまな状態の個人の可能性への配慮で成り立ちます。あなたの周りにも,少し支援を提供すれば,ホーキング博士のように,私たちにとても大きな貢献をされる隣人がおられるかもしれません1,2)。
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【図3】提携校のチームと共に地域包括ケア実施地
(紀宝町浅里地区)を歩く(H30.09) -
地域の環境は人が保全します。日本の里100選に選ばれた三重県南牟婁郡紀宝町浅里地区を,看護学科の提携校,カトリック応用科学大学(ドイツ,フライブルク)のチームと共に見学しました。高齢化と過疎化が急速に進む地域でも,地元の高齢者の自助・共助が行われています。その活動を地域医療機関(公立紀南病院)が包括的に支援しています。
参考文献
- スティーブン ホーキング。ビッグ・クエスチョン(人類の難問)に答えよう。青木 薫 訳。NHK出版, 2019。
- ジェームズ・マーシュ監督。博士と彼女のセオリー (The Theory of Everything)2014, 英国